そういう意味じゃ無いんですよ

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女性とうまくコミュニケーション取れないキャラを演じたお陰で身動きが取れなくなってしまいました。

 

小中高の頃は自分に自信が無かったので、好意を積極的にアピールするなんて相手が男であれ女であれ難しかったのですが、今は筋トレしてある程度は自信がついたお陰かいくらか主義や信条を持ち、男相手なら堂々と好意を見せるようになりました。

 

女性とコミュニケーションとるのが難しいという思いはこれからもずっと変わりませんが、私は自分の面に自信がありません。女性とコミュニケーション取れないアピールをしているのはそういう理由です。

 

ですが最近寂しいという思いになることがよくあります。私にある友人がいるのですが、彼はコミュニケーション取るのが上手です。恐らくは他人に自分はこうだからダメだというアピールをしてないからなんですよね。そう思いながら私は本当に失敗したなぁと思っています。今ではそういうキャラで仕上げられてしまっています。

 

彼が色々な人と、特に異性と仲良い雰囲気をつくっているのを見るとやはり私は寂しく感じてしまうのです。

 

男ノリで普段生活していますが、自分に自信がついたお陰か、のらりくらりせずに自身の信条に則って歩みたいという思いが最近強いです。とどのつまり私の名前の一部である”凛”とした佇まいで進んで行きたいと。

 

私は半端者です。やるならやる。やらないならやらないという徹底をする勇気がありません。自惚れてリスクヘッジが上手いと思ったことは多々あります。ですが私がなりたい私というのは尖った何かを持った人です。

 

勇気なんて言葉でよく濁してしまいますが、ただ一声発するだけなのに勇気もクソもあるか、という自分が居ます。

 

だからもっとやりたいことをやって、大学生活を人生の夏休みにしたいです。ただ寂しいなぁって。

 

筋トレのお陰で自分がどうなりたいのかどうしたいのかという思いがハッキリしてきました。

 

心を許せる相手が欲しいんだなぁと思うのです。

 

高校時代の部活の連中にはぶちまけることはできますが、私の周りにいるのは腐れ縁の連中ばかりです。上で挙げた彼もその一人。ですから寂しいのです。

 

いつか出会える誰かと肩組んで笑えるような夢ばかり描いています。贅沢な悩みなんですかね。

 

その上最近ではクラスの女の子のことが気になり始めました。

 

supercellというアーティストのヒーローって曲の歌詞に自身の見てくれを評した一文があり、まさにその通りでやはりどうしようも無いのかと中学時代から思い続けています。

 

曲のような展開は存在するわけないにせよ、相手に好意が伝わったという歌詞にどこか憧れのようなものがあります。

 

だから相手にもっと好意を伝えられるように強くなりたいですねってそんな話。