ブログは移転というか、移転しました。
ブログはこっちに移動しました。主にバイクの話を中心に書いています。
更新は気が向かない限りしません。
with-motorcyclelilik.hatenablog.com
このアカウントは、はてブでよく使うので勿論残しておきます。
気が向いたらまたこのブログも更新するかもわかりません。
では、また。
凶刃インターネット。
24日深夜、友人から「hagex氏が刺された」と連絡が来た。はじめは「は?」と思った。そんな恨まれるような事をしたのだろうかと、一通り調べてみると、2chの下らない小競り合いのような類が事件のきっかけとなったのではないかという事らしい。「は?」と思った。容疑者はロスジェネ世代、そして私の大学の先輩だ。情報が多すぎて物語を頭で組み立てるのに骨が折れた。
昨日の今日で下手なことを書くと刺されかねないので、そこまでぶっちゃけるつもりは無いが、正直、理解に苦しんでいる。ただのレスバトルにしか見えないし、プロレスみたいな(プロレスのことあんまり知らないから良い比喩ではないけど)ものだろうと思っていたのだがどうやら違うらしい。恐ろしい。少し調べてみるとこういう言葉があった。
あれ、勝ち目無くね?
というか、ネットで勝っちゃだめだし、ネットで喧嘩も買っちゃだめなのだろう。遭遇したら逃げるしかないと思う。特に気を付けなければならないのはTwitter。ツラが拝めないだけで安全だと思い込みがちだが、どーも私自身も甘く考えてしまっている節がある。
青〇才氏のインガオホーには少し気味の悪さを感じた。少し何か違う気がする。
ネット疲れる。私も何故わざわざキーボードを叩いているのかわからない。事件に関して言いたいことが、思ったことがあったはずなのだが、内容がまるでないな。いや別にいいんだけどさ.....
インターネット向いてないんだろうね。事件によるモヤモヤも晴れないしネット疲れも起こしているので少しばかりインターネットから距離を置こう。
追記
よろしく無い精神状態で考え事するのは本当によろしくない。
真夜中乙女戦争、読了、感想。
我々乙女は、戦争する。
気に入らないモノはぶっ壊す。そう生きることが出来ればなんと清々しいか。破壊の後の自分に襲ってくるであろう、喪失感とかそういう類に飲まれるのも少し面白そうな気がしている。
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the pillows 「Blues drive monster」に縋って
一人暮らしも慣れた。ただ、一人でいると考え過ぎる。自身の汚点を並べてはシニカルに笑って誤魔化す。たったこれだけで明日も何とか生き延びようって思うから、それもいいかな。
退屈な生活をぶち壊してくれるのは何なのだろう。the pillowsがいま私の中で熱い。勝手に草臥れている私の事を唄っているのではないだろうか。みんなどうやって理性を保って生きているのだろうとよく考える。部屋に引きこもってイヤホンを差し込み「Blues drive monster」を再生。ベッドの上にひっくり返り、音漏れなんて気にせず耳に流し込む。きっと私が誰よりもまともなんだろうそう思いたい思い続けたい。
この曲を聴くと部屋から飛び出したくなる。つまらない日々をぶち壊してくれたのはロックだと言わんばかりに。坂を下りながら聴くと楽しくて仕方がない。今日もまたグローブをせずに夜中の糸島を駆けてしまった。ガソリンが高くて辛い。それよりも家に帰って明日に備えなければならないのが何よりも辛い。憂鬱な世界をカジュアルにぶっ潰す曲の物語に、僅かばかり羨ましいと思っている。だから繰り返し聴いてしまう。そのぶっ潰された世界の住人の一人になりきって。
またエレキギターを手に取りたい。little bustersを弾きたい。つくづく思うのが好きなものが男趣味の典型で、最近臭いなと感じる。それでも好きが勝っているから別にどうってことは無いのだけど、もっと絞ってもいいんじゃないかと思わなくもない。でも逃げ道が少ないとどうしても不安で仕方がない。そういう生き方しかできないのかと、ガッカリしてしょぼくれることもあるけど、私は元気に音楽を聴いてます。
ところでこの曲名って某青エフェクターをモチーフにしているのかしら?
...またギター弾きたいな。
ずっと聴いているんだろうな。
恥の多い人生ですけどなにか。
きりんです。
世の中には言語化したり、手に取っちゃダメなものがやたらと多くあって、それらを拾い損ねたり半端なことをしたりすると、それらは後悔になっていくんじゃないかと思います。ウンコのキレは常にキレッキレじゃないとね。
先日、懇意(といっても一方的なものかも知れないが)にして頂いているブロガーさんのとある記事を読んだ。笑いながら泣いたわ。バイクとおさらばした時以来だ(つい最近じゃん)。
もうたんぽぽになりたい。たんぽぽかわいいよね。
しょげる時は必ずと言っていいほど「俺だけなのか....」と人と比較して卑屈に沈みがちになってしまっていて、これは大変不味いなと思うようになってきた。要は満たされていないんだよ。安直かも知らないがおそらくSNS向いていない。というかSNS向いている人種なんてこの世にいるのか?と疑問が浮かんだ。いちいち説明しなくてもいいだろう。あんなもので満ち足りて裕福な人生なんて送れるわけがない。所詮"ツール"であると認識を改めない限り、私は潰され続ける人生を送るのだろうと気が付いた。
やっとだよ......。
情報の更新スピードにもうついていけない。そしてついていくものじゃないなとハッキリ断言できる。誰かが既に語ってるだろうけど。私の望みは「自由」であると普段から言っていたが、「楽しい」というモノに上書きされつつある。「自由」は間違っていた。「自由には責任が伴う」と誰かが言っていたな、素晴らしく的を射ていると思う。私は「自由」って言葉に様々な考えを内包し過ぎた。その結果、内から破裂して「自由ってなんだよ.....なんにも自由なんて落ちてないじゃないか馬鹿野郎....」と落ち込んだ。
言葉は"広義に捉えることが出来る"言葉を選択して使ってきている。その理由は、自分でもわからない本心を他人に見透かされることが非常に不愉快だからだ。それと言葉に含んだ意味や感情を、相手の脳にインプットされている辞書の判断に全て委ねることが出来るという意味で楽であるというのもの。だから平気で人を傷つけるような言葉を自然に発してしまう。そんな意図を伝えるつもりが本人に無くても。
この言葉に私が縋ったのは「美しく綺麗に聞こえるから」だろう。耳障りがいいから。様々な「自由」がこの世にはあるから。そして沢山の言葉をその言葉に含めることが出来るから。その「自由」の願いを声に、考えに、行動に、態度に表してきた。幾分かは「自由」を手に入れることが出来たかもしれないし、他人からも「自由」そうって思われているようだ.......。
ん?何故、僕の望む自由に「他人」が含まれているんだ???????
コイツだ.......。コイツが犯人だ。
言動や思慮はネガティブだと思うが、この文言だけは自分の中に落とし込みたくなかった。自分の何かが汚れるような気がしてどうしても嫌だった。いつもチラついていた正体をやっと暴いた。「"幸せ"、"喜び"ってのは恐らく"人と比較"や"人に自慢"してやっと得られるものなのかもしれない。」
フトアゴヒゲトカゲになりたい。マジかわいい。天使か。
どうやっても人が私のシアワセに介在してしまう。そんなものなのかもしれないとすることでひとまず私の気持ちは落ち着いた。
じゃあ次だ。シアワセになるならどうするか。
これは案外アッサリ解を出した。「楽しむ」ってことだけだった。消耗して考えることを放棄した上で導いた解だから適当過ぎる気もするが、その時の私が思い付いたのはその言葉だけだった。まぁいいんじゃないだろうか。
また意味を沢山抱えさせちゃいそうで、いつか爆発するかもしれないのが少し怖い。
???「何のためにここにきたの?逃げちゃダメよ。何より自分から」
「うるさいんだよ!!」(アクセルフォオオオオオオオン!!!!!
って吐き捨てて逃げるわボケ、と思いながら久方ぶりにアニメエヴァ一話を見ていた。
物語最後の方だったか、「私と一つにならない?」ってあれどんな感じなんだろうなー。自意識を保てるのかどうかが心配。そして何より人に自分の領分に侵入を許すのがとてつもなく不愉快。俺の意志は思いは感情は俺の俺だけのものだ!と頭に浮かんだ。このアニメからハートフルな妄想をするとは思わなんだ。眠たい時にながら勉強するのは大変よろしくないなと思った。アスカが一番かわいい。異論は認めない。
とどのつまり...
大学生向いてない。
日記と化したこのブログ。
もう少しうまく扱いたいと思う。
ワイの承認欲求凄すぎない?Twitter振り返ってるとマジで思う。
別にどう使おうが自由なんだろうと思うが、一瞬を切り取って語るようなことをすべきだし、身体にいいものをもっと取り入れていきたいです(こなみ)
では、またお会いしましょう
言及するのになんか疲れた
お久しぶりです。
コマ数少ないはずなのに精神的な余裕のない生活を送っています。大学が始まるといつもこんな感じ。それでも時間的なゆとりはあるはずだからそれなりに大学生活謳歌してます......なんて自信もって言えない辺り、もどかしさを感じる。
野菜炒めをフライパン担いで食べながら記事を書く。やさいおいしいムシャクシャ。
記事タイトルの時点で矛盾してないかこれ?ってのは無し。
先日、友人複数人といた時、ある友人が食べてたお菓子に手を伸ばし、「あ~、あんまり好みじゃなかったわ~」と言ったら別の友人から「お前否定しかせんやん」と言われた。マジか。好みを口にするのは許されないのか。
私と距離の近い友人たちは恐らく私も含めて"プライド"が高い。自分が馬鹿にされることを酷く嫌がる。その癖私に対して高圧的な態度をとる事例が過去何度もあった。進んでピエロを演じている部分があるとはいえ、私から見ると「え?そんな程度で突っかかってくるの?」ということが多い。こういう風な話を取り上げる私のプライドも、きっと他者から見ると高いと評されると思うので、先に自評しておく。私のは悪意と自己防衛だと本当は思っているが、、、、話を戻そう。
いやね、割と傷ついたのよ。その言葉だけならよかったんだよ別にね。ただそのあとに人格否定までされたら私はどうしようもないのよね。私は「そうだね~」と返したけどね。めっちゃ不愉快よコレ。お前はどうなんよ、批評と批判の違いもわからないの等々、心では思ってるけど、生憎20年も生きているとそれなりに処世術なるものを覚えるらしくてね、だから攻撃は出来なかった。
他人に攻撃されている場合に限らず、なんであれ言及対象が私である場合に必ず意識を飛ばして「相手が私にどんな思いを抱いているか」を意識しているらしい。勿論、悪意には敏感に反応する。人間だもの。
「頭が悪い」と罵られたのはショックだったなぁ.......。ヘラヘラって笑って「そうだね~」って返したけど。それと一つ訂正したいのが、否定ばっかするのは俺の周りの奴らだと思うのです。「アレ嫌いコレ嫌い、あの教授が~、この教授~」とか自分から発言したことないぞ。
って言っても、相手を間違えるわけなんてないよなぁ.........。
だからもうやっぱダメだなって思うことが一つあって、
学校のような毎日顔を合わせざるを得ない相手に期待しちゃダメだってことかなって。
相手の嫌な部分ばかり目につくんだろうね。心理テストや診断で「相手の嫌な部分が目につくか」なんて質問が必ずあるのはそういう事なんだろう。私は残念ながら卑屈なので相手の秀でている部分を羨ましがって妬みます。どうです?私のが健全でしょ?
一定の距離ってのは必要。また一つ確かなことが増えました。
それと今回指摘されたことを踏まえて、もう出来るだけあれやこれやに一々反応しない、言及しないようにします。不愉快な気分になってまで、自分の考えを述べることが出来るほどメンタルが強いわけではありませんから。
ご飯でも炊くか.....
それでは。
エレキギターでお前をぶん殴るまで
中学二年生の時にあるギタリストに惚れた。以来、エレキギターと彼此6年寝食をともにしてきた。
黄色いボディで黒いピックガード。いつも膝に抱えてばかりだった。レリック加工に憧れた時は金槌で殴ったり、演奏後にギター破壊するようなギタリストに当てられた時には畳に思いっきり叩きつけたりしてた。鼻糞をつけて「これがロックよ」なんて思ってたこともある。
ある日はエアギター。来る日もエアギター。いつしか「暴れて弾けないギタリストはダメ。大学の軽音サークルには入りたくない」なんて宣いやがった。「嘘はつかない。でも本当の事も言わない」という母親の言葉が今も好きだ。本音は下手なのがバレるから。建前は一人で弾きたいから。今思うと部屋で竿をしごいてオナってる事実を他人に自慢する変態としか言えない。
人前で演奏する機会は結局一度も無かった。人前で演奏してからせめてロックを語ればよかった。「最高のオ◯ニーだぜ!」って。学祭で演奏する姿を妄想していったい何度シコったか。
あるアニメの好きなセリフ、「真のスラッガーは現実のボールを打つ前に、まず心の中でアーチを放っているのさ、、、」という言葉。何とも形容出来ない描写と、力いっぱい投げられたどストレート。ロックに型は無いなんて心のどこかで思いながらも、私は型が欲しかった。私を引きずり回してくれる型が。突き動かしてくれる型が。
いつしかギターは全く弾かなくなった。それでもストラップをつけて鏡の前に立ってニヒルなフリして笑うこともあった。指が指板の上を走らなくなった。ローションでも使えば気持ちよくなれたかもしれない。だけどいつも竿をおっ立ててニタニタ笑うだけだった。
やはり軽音サークルにでも入るべきだったかもしれない。新しい出会いもあったはずだ。なのに怠けてしまった。バンドでお互いの竿を自慢したり兜合わせしたりなんて夢をたまに見てしまう。ただ私が演奏しようとする時に必ず眼が覚める。言うまでもなく寝覚めが悪い。
そしてある日、とうとう「手放すか」と思ってしまった。もうダメだった。
大学の講義が終わってご飯を済ませて狭いベランダに弦を外したテレキャスターを飾った。なんともチャチなオモチャだよなぁなんて思いながら鋸を用意した。
どうせ近いうちに金でも入ったらいいやつ買うんだろうなぁと思った。次エレキギターを持つ時の俺はきっと彼女のように自由に生きていて欲しいと願って。彼女に憧れるなら先ずはベスパとベースからかな?なんて思ったりもした。これで中学時代から患ってきた病気とも一旦オサラバ。大人ぶってカッコつけてしまう呪いのアイテム、エレキギター。子供のままでいることの良さが理解出来た気がする。フリクリに被れすぎだろ。まぁいいか。
作業に取り掛かる前にピースを口に咥えた。「さよなライオンなんて言わせない」と寒い呪文を頭に浮かべながら火をつけ、犬歯で噛み締めた。鋸でネックを分断してる際に鼻を何度かすすった。煙が目にしみる。木屑が少し濡れた。少し部屋が寂しくなった。
後輩の合格
私のひと学年下の部活の後輩。彼らの合格報告に私は少し元気を貰った。そしてとても羨ましく思った。
私は高校の時、twitterをやっていなかった。だから皆からお祝いの言葉を貰うなんてことは無かった。だから後輩の報告がとてもとても羨ましい。だから私も彼らを祝って少し喜びを分けて貰った。
思えば、高校時代は部活以外正直何も楽しくなかった。学年9クラスあったのだが、2クラスだけ校舎の階が違い、私は1年次と2年次はその階の異なるクラスに所属していた。先日この事を思い出して、もっと沢山の友人や仲間が他のクラスに所属していれば出来たのではないかって。それがとても悔しくて、思い出しては胸がキュッと締めつけられる。悔しい。どうにも出来ない、力の及ばない出来事だったんだなぁと思う。泣きたい。というか泣いてる。
この頃からだったと思う。楽しそうにしている人たちを羨ましいと眺めて何も出来ずに茫然と突っ立っているだけになったのは。本当は私もまぜてほしい。私にも構って欲しい。だけどクラスの垣根を超えなければならない上に、階段を登る必要があった。それがとても難しい事なのはどうかわかって欲しい。
環境になかなか恵まれない、望んだ環境は与えられないということが私のどうやら巡り合わせのようだと先程気がついた。
だけど、私は周りを巻き込んで環境を変える力があると言われた事を同時に思い出した。私もどうにか彼らのように、彼らの友人の一人になりたい。だから私は後輩の合格を祝う。心の底から。
お前ら、おめでとう。いつか必ず集まろう。また俺が一番気持ちの悪い先輩役をやるから一緒に笑おう。
本当におめでとう。
このブログの方向性がわからなくなってきた。
唄い叫び、舞い踊れ。毎年花粉症とポルカ踊ってる感じ。今年もよろしく。うん、花粉症ってやっぱクソだわ。鼻水もそうだけど、鼻水のほうが圧倒的に辛い。春休みも中盤に差し掛かろうとするところ。色々思う処を吐き出してみようと思った次第でござい。
さて、何を語るべきか....。ブログタイトルの通りなんだけど、マジで何を書くべきかすっげー悩んでる。だから今回はブログタイトル通りの記事。
私はブログ書いているとよく脱線する。これは性分なのかもしれないと思っていたが、テーマがはっきりしてないせいなのではないかと考える。元々は「アフィ頑張るンゴ。自身の記録として残す。そのための記録でもありたい。役立つ情報を発信できるようになれたらいいなぁ。」なんて思っていたが、なんとまぁこのザマよ。ん? あいやしばらく、忘れたけど、「このブログは日記として機能します」的なことはいつだったか言った覚えがあるなぁ........。
ぶっちゃけ持て余しているんだよね。日記主体と考えてしまったが最後、何を書こうとしても引っ張られる。まともな商品紹介とか書けやしない。ぶっちゃけアフィブログが大嫌いというのもあるせいで書けない。日記や役立つ記事の間に商品紹介の記事等を書いている人を沢山見受けられるが、ああいうことがどういうわけか私にはできない。アドセンスはバッチリ私も張っているんですけどね。
この際だからハッキリ言おう。このブログが足枷になっている可能性がある。
いいことはたくさんあったんだ。お陰様で。生きていて嬉しい?なんて自問するほど大それたことをいっているわけではないけど、俺は今まで何をやってきてこれから何がしたいんだっけと振り返るとこのブログには本当にもうこれ以上の存在価値は無いんだよ。だから全てをなかったことにしてしまえば楽になれるのではないかと魔が差す。大したことじゃあない。ボタンをいくつかクリックすれば私の存在なんてなくなるからね。でもそれでいいのかなって。
私がやりたいことって、いや、僕がほしいものって"ただ"の承認なんだって。結局そこに落ち着いた。恐らくしばらくはこの考えは揺るがないと思う。説明する気はないよ。それはともかく、今の僕のこのブログにおける味って"テーマがないが故に"ってことだと思う。この記事のようにね。ただその場その時に思い付いた言葉を並べていくだけ。これほど楽な作業は無い。"作業"は不躾かもしれないが、”今の”私にとって相応しい形容の仕方だろう。楽しいとはきっと思っているが、何故だろうか、対価を得られないせいか、妙な義務感を負わされて書かされているだけなのではないかと思えてきた。筆は乗る。この記事もそうだ。でもなんだろうなぁ......。ただ欲深いだけなのかなぁ......。
閑話休題。
私の夢を聴け。
日本全国回ったら世界を回る。
これだけだね。今からでもやろうと思えばできる。けど、手段が大事。あぁ、まぁそんな話は別のブログで語ろう。今はそういうブログを育てたいと思っているからね。
このブログ自体を廃棄するときはお知らせすると思うので.....
一応このブログの扱いはこのまま独白的な雰囲気でいきます。ただ、カテゴリや今後の記事はある程度いじって方向性の修正を図りたいと思っている次第です。大学、筋肉、日記くらいに絞ろうと思っています。
是非ともこれからもどうかのんべんだらりんとよろしくお願いします。
旧三級品
私は二十歳過ぎて喫煙者になったが、吸い始めた理由は二つ。1つは持病に効果があるため。もう一つは憧れ。
※当記事は喫煙を推奨するものではありません。未成年者の喫煙は法律で禁止されています。
ゴールデンバット(以下、バット)が好きでよく嗜んでいる。友人に勧めると大体不味いと言われるが。ジジイ煙草なのは間違いない。わかばは不味い。
昨今、喫煙者の肩身が狭くなっているが、あれはあれでいい。只でさえ高額な税率がかかっているが、それでも酔狂な嗜好品として贅沢に味わう価値が煙草にはある。値段が上がるならそれだけの価値があるということだ。
既に禁煙宣言をして何度も失敗している。まだ諦めずにトライするつもりだ。それと、煙草から上手く距離を開けることが出来たとしても、稀に嗜むようなことはしたい。煙草はやはり贅沢だと思う。
文豪煙草とバットは文字通りの意味だ。夜な夜なKindle片手に吹かしながら太宰治を読むのは非常に楽しい。カフカの「変身」を読んでた際にもバットを吸っていたのだが、この時思ったのは「バットと文学ってなかなかピシャリと合うな」と。不思議と集中出来る。ブログ記事も何度か吸いながら書いたが、それはそれはペンも走る。「喫煙所から生まれるアイデア」とか「煙草を吸わない奴にいい文章は書けない」というのは好きではないが、吸いながら筆をとったり、活字を読んだりするのは非常に楽しい。これは何故なのかと考えた。そして気づいた。
銘柄や吸い方、味や味わい方、マナーやモラル、香りや臭さ、コミュニケーションとしての煙草とかライターとかマッチとかジッポのそれぞれの味の違いとか。本当に奥深い。まだまだ知らないことが沢山ある。そうだ。煙草は学問だ。娯楽でしかないと言われるだろうが、私は学問だと思う。知的好奇心で私は吸っているなと。だから私は煙草に「美味しい」というより「楽しい」という思いを抱いているんだなと気がついた。
太宰治が愛煙家だったのは存外「楽しみ」だったからと思えば彼の文章がまた最近面白く思える。
両切りだった頃のバットを一度でいいから味わってみたい。なんて思いながら両切りのショッピをニタニタしながら吹かしている。
煩悩No.1101100.
今日は氷結のサワーレモン。寒いと良からぬことを考えてしまう。また今日も煙草を買った。やめようと思ってから、だんだん美味しくなくなってる気はするのにどうにも離れられない。ここまでQOLが低いと笑えない。
俺は駄目な奴だなんて言いたくは無いが、日に何十度、何百度反省したら気がすむんだと思うことが余りに多い。自尊心もヘッタクレも無い。他人に罵詈されない故、ミスに気づくのが毎度遅すぎる。無茶をしている訳じゃない。なのにこの有様に呆れ返るばかり。無能が露呈するのが怖くて早合点して墓穴を何度掘ったことか。失敗は成功の母とはまた違う。はぁ....
リアピックアップが断線して音を拾わなくなったテレキャスターを部屋に飾ってあるが、自分を重ねて妙な笑いが込み上げる。接触不良でバイクのウインカーもついたりつかなかったり程度のことで感涙極まることもあった。
一通りの男にすらなれやしないともっと早いうちに気がつきたかった。それでもいつか仕合わせを手に出来ると信じる幼稚さに膝を抱えていじけるなんてこともあったなぁ。
自分の信仰を侵されなければそれは仕合わせだとさ。そんな前時代的な文言捨ててしまいたい。なのに追い詰められると縋る対象はそんな言葉だ。そんな穿った言葉なものか。結局それが本質だからだなんて私は嫌だ。だけど逃げ道がそこにしかないと思い込んでいる自分に益々嫌気が指す。
これだけの気の沈み方を覚えた。自分を憐れんだら素の自分に戻れることは良く知ってる。生存して長い距離走って最後に高く高く飛んで跳ねて全てを台無しにしたいって私と似た思いを抱いている人は実は世の中沢山居て、だけど実社会ではそれを見せるような人は見られないから、彼らを嫉ましく思う。いつまで子供でいなければならないんだ私は。私だけなのか。
昔、「誰でも一冊は本を書ける。それは自伝だ。」というのを聞いた。私の三文小説でありとあらゆる何かを思わせることは出来るのかなぁなんて。つまらない人間につまるものを生み出すことなんて万が一つにも有り得ないと思う。勤勉な奴に私はどう足掻いても勝てない。だからどうか俺の遺言を聞いて欲しいなんてニヒルな言葉がとても耳障り良く聞こえる。
人様の顔色を伺うように育てらた。一時は迎合したような素振りで馬車馬のように燥いでいたが、その頃が一番誇らしく思える時だった。「生まれ変わるなら貴方になりたい」と言われたことがあった。私の成人式の記事の写真に映った彼女だ。私は貴女になりたい。私だってこんなはずじゃなかったんだ。自分に自信が無い。こんな、こんな為体になるなんて私ですら思ってなかった。私なら出来る、やってやるだと。底無しの馬鹿か。毎日寝て起きて席について生産性ゼロの講義を受けて帰って寝るだけ。面白いだろう。私が打ち拉がれているのは。
嫌だ。行くところ間違えた。
筆が乗るな。このまま続けます。
毎日毎朝毎晩四六時中天井見上げて寝たきりで緩やかに光を失う夢を連続で二晩見た。目が覚めた時に少し悔しく思ったから本当にもうダメだ。
ストレスフルな生活をしているのはわかっている。一年前にゲーム機を捨てて以来、耐性がついたと思っていたが、一定を超えると抑圧されてた煩悩が喉から出そうになる。マイノリティがなんだ。糞食らえ。俺は一緒が良かった。妙なものに取り憑かれたくなかった。自分が思っているほどお前は変じゃないし大したことないしフツーだフツーと誰に対しても思っていた。だけど表に出ている部分が皆大差無いだけで、心の内は気持ち悪いものみんな抱えてるんじゃないのか。皆はゲーム機で発散してるの?俺はどうしたらいいの?またコントローラを手に取るの?
ここでおしまい。うん。プロテインが足りない。明日からがむしゃらにやります。